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夢は砕けて夢と知り
愛は破れて愛と知り
時は流れて時と知り
友は別れて友と知り
「この問題、進研ゼミで見たことある!」
教師「うるせぇ授業でもやったわ」
mmtki:

sfmm:

虹裏

2012-03-26

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虹裏

2012-03-26

言葉が「差別」をしているわけではありません。そこに、その意味を付与してるのは、人間の意識なのですが。
(via mercator)
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ある死刑囚が、死刑執行を告げられてから実際に処刑されるまでの様子を録音されたテープが公開されていた。



現代では、死刑の執行を本人に告げるのは、執行当日の午前9時ごろで、処刑は10時には執行される。死刑囚からすれば、処刑の1時間前にいきなり通達があるということになる。
現在はこれが慣例となっているが昔からそうだったわけではなく、かつては2、3日前に本人に告げることが普通であった。

執行日を聞かされた死刑囚は、残された時間で家族に会わせてもらったり、他の受刑者と語り合ったりして、自分の最後の時を迎えていた。

昭和30年(1955年)、大阪拘置所の所長である玉井策郎氏は、ある死刑囚が死刑の執行を告げられてから、最後の時を迎えるまでの53時間をひそかにテープに録音していた。

元々、拘置所の職員や教誨師(きょうかいし = 死刑執行の際、お経をあげたり祈りをささげたりして死刑囚の心を安息に導く役目の人物)の教育のための資料として録音したものだが、このテープは、翌年、国会に死刑廃止法案が提出された際に、資料として法務省にも提出されている。

録音は全部で53時間、テープにして23本に及ぶものだが、これを編集して1時間40分にまとめた「完成品」が、視聴会で公開されることとなった。

教誨師(きょうかいし)たちを集めて行われた視聴会には、何人かの新聞記者も同席し、その中で読売新聞の記者が、聞きながら速記で内容を書きとめ、昭和31年4月13日付け読売新聞に掲載している。また、いくつかの報道番組が、実際の音声をテレビでも放送している。


▼死刑執行日を告げられる

このテープの主人公は、死刑囚O(38)。(ゼロではなく、頭文字「オゥ」)
神戸において3人組で強盗を行い、警官を銃で射殺して死刑判決を受け、最高裁でも上告が棄却されて死刑が確定した。

テープの冒頭は「死刑囚Oは、京都宮津のキコリの次男に生まれ・・」というナレーションに始まり、Oの経歴の紹介を経て、録音部分に入る。



廊下を歩く数名の足音、戸を開けて閉める音。昭和30年2月9日、午前10時20分、死刑囚Oは、呼び出されて大阪拘置所の所長室に入った。

「O君、特別恩赦(おんしゃ)を願っていたけれども、今日、残念ながら却下になってきた。まことに残念だ。却下になってきた以上、近く執行があるはずだ。これまで苦労したね、よくやってくれた。」

※恩赦:国家的に祝いごとなどがあった際に、恩赦願いを出していると、刑が軽減される場合がある。昔はこれで死刑が無期懲役に減刑された例がいくつかあるが、近年では恩赦はほとんどない。

所長からこう告げられ、あさっての死刑執行を宣言されたOは、ハンカチを取り出し涙声で

「非常にお世話になりました・・。私はこれまで(拘置所内で)反則を繰り返し、身分帳(罪の経歴)が汚れています。これを残していくのは残念です。何とか消していただけませんか。」

と答える。

「それは実に立派なことだ。」所長が答える間、Oの泣き続ける。

「会いたい人には会えるようにするし、法の許す限りのことは、食べたいものでも何でも甘えるつもりで言いなさい。出来るだけの面倒はみますから。」

所長室を出たOは教誨(きょうかい)室へと入り、そこでお茶を飲むと教誨師(きょうかいし)に法話を聞かせてもらった。しばらく教誨室で過ごしていると、ドアが開き、拘置所の連絡で呼ばれたOの姉が案内されて入って来た。

姉を案内してきた課長が
「O君、長い間言おうと思っていたことを思い残すことのないように話しなさい。」
と言う。

「何年ぶりかな、姉さんと話すのは。T(自分の息子)は元気かね?」

自分の一人息子のことが気にかかる。Oは死刑確定後は妻とも離婚し、息子はこの姉に引き取ってもらっていた。息子には、自分が戦死したことにしてある。色あせた小学校の入学の時の写真を大事に持っている。

「もう、中学校を卒業するんだよ、これからどうすればいいのかね。」

姉も涙ながらにOの問いかけに答える。昼食のカツライスが運ばれてきた。食べながら泣きながらの姉と弟の会話が続く。



姉が帰った後、今度は「送別お茶の会」が、日本間で開かれた。女囚1人を除いた死刑囚8人と所長、管理部長、職員が出席した。

「お茶の会」自体は茶道の師範をお迎えして毎月定期的に行っているものだが、この日はOのための臨時のお茶の会である。

Oが挨拶をし「私が今のようになったのも信仰のおかげです。」というと、他の死刑囚から

「はじめはずいぶんと悪かったからねえ!特に25年ごろはねえ!」

と声が上がると一斉に笑い声が起こった。


Oは収監されたばかりのころは、看守には食ってかかり、起床の時間も守らず、脱獄も何度も計画した。他の死刑囚たちと、そんな思い出話に花が咲く。

そして一人一人がOに向けて、はなむけの歌を送る。O自身も歌った。カラオケなどない時代、伴奏もないが、それぞれが真剣にOのために歌った。

最後に所長が音頭を取り、蛍の光を全員で歌って「送別お茶の会」は終了した。「送別会」とは世間ではありふれたことであるが、この送別会はまさに本当の意味での送別会であった。


▼姉と最後の面会

翌日10日の13時30分よりOを送るための送別俳句会が、俳句の先生を招いて行われた。死刑囚を中心に行われたこの俳句会では、それぞれが詠(よ)んだ様々な俳句が披露され、もちろんOの作品も発表された。

俳句会が終わって、いよいよ姉と最後の面会である。面会は畳の間で行われ、子供時代のことや、年老いた母への心配、自分の子供のことなど、話は尽きない。16時半になり、面会時間もそろそろ終了となった。

関保護課長が「別れは尽きないと思うし、言い足りないこともあったと思うけど、役所の規則がそれを許さない。お別れしましょう。」
と、面会の終わりを告げた。

Oは涙を流しながら
「姉さん、長い間ありがとう。どうかお母さんにもよろしく。子供のことはくれぐれもよろしくお願いします。」
と姉に最後の頼みを行う。姉はずっと泣き続けている。

関保護課長が
「さ、これで別れましょう。残酷なようですが別れましょう。最後にO君の手をしっかり握ってやって下さい。」
と、再び終了を示唆する。

Oと姉は抱き合って泣く。

「もう時間が許しません。どうか姉さんも本人の冥福を祈ってやって下さい。明日は立派な態度でゆけると思います。」

関保護課長は両者を引き離し、「姉さん、悪うございました。」
と挨拶し、ついに最後のお別れは終わりを告げた。Oは舎房へ帰り、姉は声を上げて畳に泣き伏せる。


▼最後の時

夜が開けて11日、死刑執行の日が来た。彼は昨日の晩、医務課長からもらった下剤を飲み、腹の中のものをすっかり出した。朝食はお茶漬けと奈良漬けである。

間もなく仏前に死刑囚全員とOが集まり、礼拝を行う。教誨師がお経を上げる。Oの声も、残された死刑囚の声も涙声になっている。

Oが最後の挨拶を行う。
「私は恩赦があることを期待していたので、その間、宗教なんか必要ないものだと修行を怠(おこた)っていたのは考え違いで、損をしました。

どうか皆さんも、助かるとか無期になるとか、このような気持ちを捨てるとともに、見栄を捨て、真剣に死という問題に直面し、人がどう思うかこう思うかということを考えないで、死後を願うことが必要だと思います。

いよいよ皆さんと別れて、今日は刑場に臨むのでありますが、私は今日、刑場で泣くかも知れないし、また、腰を抜かすかも知れません。

あとで誰かに聞かれたら、その姿が本当の私の姿だと思って下さい。」

実に淡々とした口調で、昨日、おとといに比べると見違えるほど堂々とした態度になっていた。

挨拶を終わらせると、彼は並んでいる死刑囚の一人一人と握手し、声をかけ、お礼を言う。

「一日でも長く生きてくれ。」「体に気をつけて。」

Oの言葉を聞き、死刑囚たちもOに励ましの言葉を返す。みんな涙声になっている。

全員との別れが終わると、Oは手を振って個人教誨室へと入った。処刑時刻までまだ少しある。ここで保護課長と最後の話をする。処刑場では着々と準備が進んでいる。

時間になった。

保安課長が迎えに来る。

「お別れだよ。」

Oの方を見ながら、保安課長は重々しく声をかけた。教誨師や拘置所の所長、検事など、立ち合い人が次々と処刑場へ入る。

刑場の仏間にはロウソクが灯され、香(こう)が焚(た)かれている。仏間の前に置かれているイスにOが座る。Oの正面に所長が立つ。

「長い間、苦労したねぇ。これで最後のお別れだな。よくやってくれた。言い足りないこと、書き足りないことがあったら全部ここで言いなさい。」

「今日(こんにち)のような修養を積めたのは、ひとえに所長をはじめ、皆さんの理解によるもので、今日、喜んで死出の旅路につけることは、本当にうれしいことです。」

Oはすでに安らかな口調になっており、恐怖を乗り越えたかのような話し方である。読経がすでに始まっており、その中で、彼の辞世の句が教誨師から披露された。

「あす執行 下剤を飲みて 春の宵(よい)」
「何くそと 思えど悲し 雪折れの竹」

この後は所長から別れのタバコとしてピースを一本もらう。最後のタバコを吸いながら
「兵隊に行ってた時にタバコが好きで、あまりプカプカふかすので、機関車というあだ名をつけられましたよ。」
と、Oが笑いながら言う。

この後しばらくみんなで談笑が続く。そして話が途切れた時、Oは覚悟を決めたのか、それぞれの人と握手を交わして行く。

「社会の人々にいろいろ迷惑をかけてすみません。」
「今日までの厚情(こうじょう)を感謝し、残る死刑囚を頼みます。」

最後に保護課長の両肩に手をかけ、
「先に行っています。極楽では私の方が先輩ですからね。」

と言うと、みんなから笑いが起こった。


本当に最後の別れが終わった。Oはこの後、姉の心のこもった経帷子(きょうかたびら)に着替え、仏前に線香を上げる。

保安課長がOに手錠をかけ、目隠しをする。

「心の中で念仏を唱えなさい。声を出すと舌を切るからね。」

課長の注意のあと、職員たちに連れられ、いよいよ処刑場へと足を運ぶ。読経の声が一段と高くなった。鐘がカーンと鳴らされる。

数名の人間の歩く足音が録音されている。
だがすぐに足音は止まった。首にロープがかけられているようだ。読経は更に激しさを増す。

足音が止まってほんのわずかな後、バターンと一回、大きな音がした。Oの足元の床が開いた音だ。吸い込まれるように穴の中へ落ちて行く死刑囚O。


そして医者の検視。

「報告します。死刑終わり。午後2時59分執行。死亡3時13分2秒。所要時間14分2秒。」

Oの死刑は終了した。
ナースが聞いた「死ぬ前に語られる後悔」トップ5 

1. 「自分自身に忠実に生きれば良かった」
2. 「あんなに一生懸命働かなくても良かった」
3. 「もっと自分の気持ちを表す勇気を持てば良かった」
4. 「友人関係を続けていれば良かった」
5. 「自分をもっと幸せにしてあげればよかった」
働きバチが集めた蜜を搾取するっていう、
いわば資産家階級だよ。本当だよ。
遠藤周作が「文章力の修行にいい。電車の中でも出来る」と言っていたのが「オリジナル形容詞」。「終末を語る預言者のような顔で乗ってくる塾帰りの中学生」とか「路地裏のゴミ箱から嫉妬だけ集めて煮込んだような週刊誌の広告」とか、目に付くものにオリジナルの形容詞を作ると文章力が向上するそう
ほとんどのいじめは「ここは小さな自分たちのオキテが通用する場所なんだ」という安全確認がすんだ状況で行なわれる。

え~っと、、、よくある勘違いなんですが、自然界は「弱肉強食」ではありません

弱いからといって喰われるとは限らないし、強いからといって食えるとも限りません

虎は兎より掛け値なしに強いですが、兎は世界中で繁栄し、虎は絶滅の危機に瀕しています

***

自然界の掟は、個体レベルでは「全肉全食」で、種レベルでは「適者生存」です

個体レベルでは、最終的に全ての個体が「喰われ」ます
全ての個体は、多少の寿命の差こそあれ、必ず死にます
個体間の寿命の違いは、自然界全体で観れば意味はありません
ある犬が2年生き、別の犬が10年生きたとしても、それはほとんど大した違いは無く、どっちでもいいことです

種レベルでは「適者生存」です
この言葉は誤解されて広まってますが、決して「弱肉強食」の意味ではありません
「強い者」が残るのではなく、「適した者」が残るんです
(「残る」という意味が、「個体が生き延びる」という意味で無く「遺伝子が次世代に受け継がれる」の意味であることに注意)


そして自然というものの特徴は、「無限と言っていいほどの環境適応のやり方がある」ということです

必ずしも活発なものが残るとは限らず、ナマケモノや深海生物のように極端に代謝を落とした生存戦略もあります
多産なもの少産なもの、速いもの遅いもの、強いもの弱いもの、大きいもの小さいもの、、、、
あらゆる形態の生物が存在することは御存じの通り

「適応」してさえいれば、強かろうが弱かろうが関係無いんです

そして「適者生存」の意味が、「個体が生き延びる」という意味で無く「遺伝子が次世代に受け継がれる」の意味である以上、ある特定の個体が外敵に喰われようがどうしようが関係ないんです

10年生き延びて子を1匹しか生まなかった個体と、1年しか生きられなかったが子を10匹生んだ個体とでは、後者の方がより「適者」として「生存」したことになります


「生存」が「子孫を残すこと」であり、「適応」の仕方が無数に可能性のあるものである以上、どのように「適応」するかはその生物の生存戦略次第ということになります

人間の生存戦略は、、、、「社会性」

高度に機能的な社会を作り、その互助作用でもって個体を保護する
個別的には長期の生存が不可能な個体(=つまり、質問主さんがおっしゃる”弱者”です)も生き延びさせることで、子孫の繁栄の可能性を最大化する、、、、という戦略です

どれだけの個体が生き延びられるか、どの程度の”弱者”を生かすことが出来るかは、その社会の持つ力に比例します
人類は文明を発展させることで、前時代では生かすことが出来なかった個体も生かすことができるようになりました

生物の生存戦略としては大成功でしょう
(生物が子孫を増やすのは本源的なものであり、そのこと自体の価値を問うてもそれは無意味です。「こんなに数を増やす必要があるのか?」という疑問は、自然界に立脚して論ずる限り意味を成しません)

「優秀な遺伝子」ってものは無いんですよ
あるのは「ある特定の環境において、有効であるかもしれない遺伝子」です

遺伝子によって発現されるどういう”形質”が、どういう環境で生存に有利に働くかは計算不可能です
例えば、現代社会の人類にとって「障害」としかみなされない形質も、将来は「有効な形質」になってるかもしれません
だから、可能であるならばできる限り多くのパターンの「障害(=つまるところ形質的イレギュラーですが)」を抱えておく方が、生存戦略上の「保険」となるんです

(「生まれつき目が見えないことが、どういう状況で有利になるのか?」という質問をしないでくださいね。それこそ誰にも読めないことなんです。自然とは、無数の可能性の塊であって、全てを計算しきるのは神ならぬ人間には不可能ですから)


アマゾンのジャングルに一人で放置されて生き延びられる現代人はいませんね
ということは、「社会」というものが無い生の自然状態に置かれるなら、人間は全員「弱者」だということです

その「弱者」たちが集まって、出来るだけ多くの「弱者」を生かすようにしたのが人間の生存戦略なんです

だから社会科学では、「闘争」も「協働」も人間社会の構成要素だが、どちらがより「人間社会」の本質かといえば「協働」である、と答えるんです
「闘争」がどれほど活発化しようが、最後は「協働」しないと人間は生き延びられないからです


我々全員が「弱者」であり、「弱者」を生かすのがホモ・サピエンスの生存戦略だということです

最もつまらないと思うのは 人との約束を破る人ではなく、 自分との約束を破る人です。